桃太郎ブームについて
声咲く
2017年7月24日 月曜日
なぜこんなに桃太郎ブームが
押し寄せているのか。
全くわからない。
弁才天さまのお導きであろうか。
桜月流にとっては全てが追い風であることは間違いない。
でも、何故か?
と考えていた。
いまは、大ヒット作がない時代ですよね。
国民的な大ヒットソングも、
「世界で一つだけの花」が最後かと。
アナ雪、真田丸の存在が怪物的で、
もう残り香です。
老若男女、 日本国民全体でお祭り騒ぎのように
一体化して大人気になるものって、
もう出てこないような時代です。
永続性や全体力が衰え、
組織や集団の力ももはやない。
消費的で一過性で、
一瞬のピンが、次々に消えては出てくる。
アルバム全体を聞くような音楽産業もなくなり、
その1曲が、突如出て突如消える。
連なりや、全体の広がりは
あまりなくて、
非常に個々が一瞬絆で結ばれて
すぐ次へとほどけて行くような
そんな新時代が来ている気がします。
だから、万民が共通で共感共鳴できることが
少なくなってしまったこの時代に
古典というか昔話というか、
小さい時に誰でも聞かされて知っている!という
この民族的共通項が、「桃太郎」にはあるのかと。
昔は、お正月だ!祇園祭だ!夏の甲子園だ!紅白だ!
などと、共通で高鳴った文化がその季節季節を
駆け抜けていたと思うのですが
そういうものがなくなっていて
個人主義が徹底されて来ています。
だから、裕次郎とか、美空ひばりとか
初期のスターウォーズとか、空前絶後なものは
もう出て来そうにありません。
共通で掲げられる夢や憧れが減っている。
オリンピックでさえ、どこか人ごとのような
感じで、その日がやってくるのではないでしょうか。
興味が多様化され分散されているので
選択肢が少なかった時とはもう違うのです。
でも、そんな中でも
「桃太郎」というのは
子供の頃誰でもが聞いた、
誰でもが心を躍らせて聞いた
固有の物語なのです。
宗教教育の現場か消えたので
日本神話を語られることのなくなった時代に
残された 耳で聞かされてきた語り物語の
最たるものが「桃太郎」なのではないでしょうか。
一寸法師、花咲か爺さん、猿蟹合戦、舌切り雀
金太郎、浦島太郎などありますが、
少年物語では、「桃太郎」
少女物語では、「かぐや姫」
この両昔話が、一番ストーリーを語れる
知ってると言えます。
万民が知っている。
共通認識の共通言語。
いま、バラバラになった民族性を
取り戻す為のツールとして
「桃太郎」に火がついているのかもしれない。
だとすると、
今、この時期に桜月流が
「桃太郎」を題材に取り組んでいることは
国家的文化としても
正しいのかな。
などと、ちょっと大きなことを思っている
新月なのでありました!