島田裕巳先生から
桜月流美剱道に
桜月流について
「日本の伝統芸能は、日本舞踊にしても、能楽にしても、武士が実践した剣のさばきに発している。剣をふるうには、相手に勝る迅速さが求められるが、それが舞における無駄のない動きに通じる。桜月流美剱道では、こうした日本の伝統を受け継ぎ、技の修練を積むとともに、それを現代的な芸術表現に高める努力を重ねてきた。日本の美は、技によって支えられていることを世界に示すことが、桜月流美剱道の活動の根本である。」
【島田裕巳教授 (宗教学者) 】
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桜月流美剱道
作品『バー(魂)』パンフより
ここに剣士たちがいる。
彼らがあやつる剣は、金や権力を奪うための道具ではない。悪に鉄槌を下すための正義の証ではない。彼らがあやつるのは、見る者の心をとりこにしてしまう美しき魔性の刃だ。剣士たちは、東の空に浮かんだ月の煌煌とした輝きのなかで、魔性の刃をふりあげる。月の怜悧な光が刃を銀に染めたとき、剣士たちはこの世ならぬ高みから舞い降りたかのような荘厳なたたずまいをあらわにする。剣士たちの行く手に、彼らをはばむ者が姿をあらわすわけではない。たとえ彼らに刃を向ける者があったとしても、それは剣士たちに忍び寄る邪心の作り出した幻影にほかならない。魔性の剣が鋭さを獲得したとき、底知れぬ闇をたたえ、氷のように冷えきっていた世界に、満開の桜が咲く。月の光を吸いとった桜の花びらからは霊気が放たれ、剣士たちの心の目を射る。その刹那、無心となった剣士たちの魂の叫びがあたりを激しく震わせ、咲きほこった桜の花を、一瞬にして散らす。
桜の花は永遠にふりやむ気配を見せない。
剣士たちは、やがて剣をふるうことを忘れ、花の舞に酔いしれたかのようにくず降れると、ふりつもった花びらにうもれていく。一面に敷きつめられた桜を見晴らすように、月が天の頂に達し、宇宙に静寂が訪れる。
そのとき、いずこからともなく刃の音が響き渡り、瞬時にして丸い月を砕き割る。
月はかけらとなって落下し、剣士たちのあとを追って、花びらの中に消えていく。あとはただ、微かな光を宿した月のかけらだけが残される。
桜ふる月のかけら。
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島田裕巳(宗教学者)
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1953年東京生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程終了。宗教学を専門とする。文筆業・東京大学先端科学技術センター客員研究員。中央大学法学部兼任講師。
著書に、『葬式は、要らない』『戒名は、自分で決める』 (幻冬舎新書) 『日本10大新宗教』 (幻冬舎新書)『日本宗教美術史』(芸術新聞社)『「仏陀語録」オリジナル』(三五館)など